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ジェフリー・バワについて

ポートレート.JPGスリランカが生んだ熱帯建築のパイオニア“ジェフリー・バワ”。
彼の名前は日本ではまだあまり知られていませんが、実はバワは、あのアマンリゾーツに代表されるアジアン・リゾート建築に多大なる影響を与えた、アジアが誇る建築家です。アマンリゾーツの創業者エイドリアン・ゼッカーや、アマン建築の大御所ケリー・ヒルを含め、アジアン・リゾート・ホテルや住宅を手がける多くの建築家とインテリア・デザイナーが、バワの建築スタイルから様々なヒントを得てきました。

それまでの西洋建築のホテルとは一線を画する独創的な「熱帯建築」 ― それは、地域の自然や風土・文化を空間の中に存分に取り入れ、屋外と屋内の連続性にこだわった開放的な造りが特徴です。このような地域性豊かなデザインは、今でこそ世界各地の優雅な南国リゾートに多く見受けられますが、外界と建築内部を塀や壁で仕切り、外敵や厳しい自然から人間を守ることを一つの主目的とした西洋建築のコンセプトとは異なり、自然と共生しながら生活をしてきたアジアだからこそ生まれた建築スタイルです。その大きな流れをつくったのが、スリランカという豊かな自然に囲まれた、また、西洋と東洋の歴史文化が交差する海のシルクロードの拠点であったスリランカに生まれ育ったジェフリー・バワであることは意外に知られていません。
2003年に享年84歳で生涯を終えたバワですが、スリランカには、このバワの作品が今なお数多く残っています。

バワの生い立ち

スリランカの歴史は、多様な民族と宗教の混在、そして西洋諸国による植民地支配への抵抗とあいまった民族紛争の歴史に彩られてきました。スリランカの人口は、その約7割がインド北部のアーリア系を先祖にもつシンハラ人、約2割がインド南部から移住してきたタミル人、残り1割は、イスラム人と、オランダ・ポルトガル植民地時代の末裔であるバーガー人ほか、先住民やマレー系民族などの多様な民族により構成されています。
民族と文化が複雑に交差するこのスリランカの環境の中で、1919年、ジェフリー・バワも複数の文化的ルーツを持つ、コロンボの裕福な家庭の下に生まれました。弁護士だったバワの父親は、アラブ系弁護士の父とフランス系イギリス人の母を持ち、バワの母親は、オランダ系バーガー人の父とスコットランドとシンハラの混血の母を持っていました。
コロンボ上流階級の家で何不自由ない少年時代を過ごしたバワは、コロンボの大学を卒業後、19歳でイギリスに渡り、1941年にケンブリッジ大学にて文学士の学位を取得(英国文学専攻)。
その後、法律を専攻し、1943年にロンドンにて法廷弁護士として認められます。いったんは弁護士になったものの、すぐに自らの原点を探し求めるように2年間の世界周遊の旅へ。旅先のイタリアで出会った庭園やヴィラに大きな感銘を受け、建築の世界にのめり込んでいきます。
帰国後、自らの理想郷を追い求めてベントータに広大な土地を買い、後に彼の最高傑作といわれ、バワが一生をかけて創り育てた理想郷「ルヌガンガ」に着手します。法律から建築への道へ転向を決意したバワは、建築・造園の基礎を学ぶため、再度イギリスへ渡航。ロンドンのAAスクール(Architectural Association School of Architecture)にて建築を学び帰国します。そして1957年、38歳のバワは、遅咲きの建築家として、スリランカをベースとして建築家としての人生を歩み始めたのです。

バワの建築

建築家としてのスタートは遅かったものの、2003年に84歳で亡くなるまで、バワは精力的に作品を残しています。そのほとんどはスリランカにあり、手がけた作品はホテル建築に留まらず、個人宅から、スリー・ジャヤワルダナプラにある国会議事堂、マータラのルヌフ大学、コロンボ市内のベイラ湖に浮かぶ仏教寺院など、多岐にわたります。また、バワは椅子、机、ベッド、置物などの家具や調度品もバワ自身で、もしくはラキ・セナナヤキなどの懇意の芸術家に依頼してオリジナルのデザインを起こしており、これらの作品と建築物との相互関係を追及し昇華させ、独特な美の空間・世界を築き上げました。
バワの建築は、その土地の持つ自然の特性を最大限に引き出しているところに大きな特徴があるといえます。自然の持つ元来の地形や植生などが建築物の一部として取り込まれ、かつ、海、湖、風などの周囲の動的な条件が、内と外の連続性を重んじる開放的な建築物の一部として有効に活用されています。
今でこそ、このような建築要素は「癒しのアジアン・リゾート」として人気を博する南国のリゾートホテルに必須のスタイルとなりましたが、バワが建築家としてのスタートを切った当時には見られなかったデザインといえます。
特に、規則的に並ぶ列柱が美しい回廊や、自然の岩・木の位置や地面の凹凸などを一切変えずに建築と共生させる設計手法は、多くのバワ建築にみられるアプローチであり、外と内、自然と人工物をうまく融合させたバワらしい発想をみてとれます。
また、いまや南国リゾートホテルのプールの定番である、プールの端が海面に溶け込み一体となる「インフィニティーエッジ・プール」のデザインも、もともとバワが考案したものといわれています。
バワが元来持ち合わせていた独創的な発想力のもと、彼が建築家になるまでの多くの時間を過ごしたヨーロッパの文化とライフスタイル、一方で、自らが生まれ少年時代を過ごしたスリランカの自然と風土・文化への愛着と崇敬の念が一体となり、それまでの建築とは一線を画する、実に魅力的な建築物やデザインが生み出されたのです。

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